Global Type Relay: Osmond Tshuma (Harare, Zimbabwe)

typographics t誌内では国際的タイポグラフィデザイナーを連載として始めて、まずは英語で紹介して、同時にtypographics t オンラインで日本語で紹介します。特集されるデザイナーにはバトンリレー形式で次の方を紹介してもらいますが、1つだけ条件があります。次回は別の国の方へ。最終的にどこまで行き着くことでしょう。第10回はジンバブエ・ハラレ市在住のデザイナー・タイポグラファー、オスモンド・シュマ氏。

Osmond Tshuma (オスモンド・シュマ)
Instagram: @wakwatshuma

Mam’Gobozi Design Factory
https://mamgobozidesign.com/

ジンバブエ出身、アーティスト、デザイナー、アートディレクター、そしてアフリカ専門のタイポグラファー。アフリカのアイデンティティをデザイン、アート、プロダクトデザインを通じて広める、南アフリカのデザインスタジオ「Mam’Gobozi Design Factory」を共同設立しました。シュマ氏の作品はヨーロッパ中心主義の脱植民地化を呼びかけるとともに、アフリカの文化や遺産を称えるアプローチに挑戦しています。現在、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインでグラフィック・デザインの修士号を取得中。 

アフリカセンターのリブランディングは、アフリカの豊かである文化とアイデンティティを称えるように制作しました。Imazighen民族の刺繍シンボル、古代エジプトの象形文字、そして壮大なAdinkra、Nsibidi、Yaka、Ndebeleの壁画シンボルを使用。(コミッションワーク、2021)

Q:アフリカ大陸の方へのインタビューは初めてでワクワクしています。あなた自身について、またデザイナーになったきっかけについて教えてください。

デザインに出会ったのは、高校時代に友人にグリーティングカードを作ったのが最初です。新聞の書体を真似てカードを作ったことを覚えています。また、スクラップブックにヒップホップの写真を切り抜いて貼っていたものもあって、レイアウトの調整をしていたんだと思います。ただ何かを作っていただけの子供で、それが何なのかまったくわからなかっていなかったです。高校卒業後は美術の専門学校に進み、その後大学で初めてグラフィック・デザインについて学びました。デザインへの情熱が高まり、その後すぐにジュニア・デザイナーとして働き始めました。高校時代自分が何をしているのかわからないまま、実験的に見境なく形を作っていたことは、自分のデザインジャーニーとして不可欠な時期でもあります。スクラップブックでの実験やグリーティングカードのデザインは、すべての始まりの入口になりました。

「リベリア173」は、リベリアのダン族が使っている顔マスクからインスパイアされました。目と鼻であるマスクの特徴をベースに実現しました。(パーソナルワーク、2020)

Q: なぜAfrikaを「c」ではなく「k」と綴るのか、説明していただけますか?

自分の作品は、デザインの脱植民地化に関する広範囲に及ぶ対話の一部です。そのため、ほとんどの疑問と自分の興味は「書くこと」に関連しています。例えば、アフリカ植民地化の中断がなければ、文字はどのように進化しただろうか?アフリカ、あるいはラテンアルファベットを使用している地域は、アルファベットをいつか放棄するのだろうか?そうなると、ドミノ効果はあるのだろうか?代わりに何が使用されるのか?Afrikaに「k」を使っているのもその一環です。アフリカには「c」の文字が存在しない言語もあり個々で使わない場合もあります。私たちのアイデンティティを取り戻す方法として「k」を使っています。

進行中の実験的なタイプですが、サンコファ・アンディクラのシンボルからインスパイアされています。

Q:ジンバブエのデザイン/タイポグラフィーのシーンはどのようなものですか?

ジンバブエのデザインシーンは進化しています。国内外に影響を与える著名なデザイナーを輩出しています。BehanceやdribbleのようなSNSやプラットフォームでは、デザイナーが自分の作品を世界的に紹介するのに役立っているし、海外のクライアントと仕事をするのにアクセスしやすくなっています。グラフィック・デザイナーズ・ジンバブエが企画している「GDZ Design Week」のようなクリエイティブなイベントからも新ネットワークやアイデアとコラボレーションが生まれています。Taurai Mtake氏、Fungai Dube氏、Baynham Goredema氏、Sebastian Tapiwanashe Garikayi氏、Batsirai Madzonga氏など、ジンバブエのデザイナーたちは、グラフィックデザインとタイポグラフィの可能性を押し広げています。

「エリトリア29」のタイプフェイスは、伝統であるハベシャ・ドレスの「ティベブ」と呼ばれる美しい手刺繍の模様から影響されました。ハベシャ・ドレスとは、ハベシャ族の女性が身につける伝統的な服装です。(2020)

Q: 前回のナットさんから「オスモンドさんが行っているデザインとタイポグラフィでのアフリカンアプローチを支持している」とコメントいただきました。デザインした書体やタイポグラフィにおける「アフリカ的」アプローチとは何ですか?

ナットさんの言葉大変嬉しいです。自分のデザイン活動におけるアプローチは、常にアフリカのアイデンティティを称えることです。アフリカの歴史、工芸品、伝統、文化からインスピレーションを得て、統合することで新しい意味を生み出しています。そうすると我々アフリカ人を再認識したりすることができます。サキ・マフンディクワ博士のテッドトーク「Ingenuity and Elegance in Ancient Afrikan Alphabets」(古代アフリカ文字における創意と優雅さ)を見て以来、このプロセスを続けています。マフンディクワ氏が若いアフリカ人デザイナーたちに、インスピレーションを得るためにアフリカ内部に目を向けるよう促しています。「アフリカ内部に目を向ける」という呼びかけは、「アフリカは私が生まれてからずっと知っているもの」というシンプルなものです。アフリカについて知らないことを観察し、疑問を持ち、調査し、研究せよと言っているのだと思います。

「MANOR」のロゴタイプは、マリの古代ティンブクトゥ市にあるスーダン・サヘル建築にインスパイアされています。アフリカ話を発信するプラットフォームにとって、相応しい形。(コミッションワーク、2023)
「アフリカン・フィルム&アート・フェスティバル」のロゴは、ブルンジ共和国の失われた/盗まれた木製の盾の幾何学模様からアイデアもらって制作しました。(2023)

Q:ハラレ市で、タイポグラフィ好きにお勧めの場所があれば教えてください。

私は歴史に魅了されているので偏った見方ををしてしまいます。ハラレ市には、優れたタイポグラフィが施されたユニークな建築物がいくつかありますが、新しいビジネスの看板がそれらを覆ってしまっています。それでも、ロバート・ムガベ通り沿いのフェレデー・アンド・サンズ・ビルディング(1923年建築)、スペケ通りのブラウデ・ブラザーズ・ビルディング(1936年建築)、カグヴィ通りのクイーンズ・ホテルズ(1899年開業)などは、今でも見ることができます。


HRE→JNB: Fhumulani Nemulodi (Johannesburg, South Africa)

次のゲストは同じ大陸をクルーズしていきます。「フムラニ・ネムロディさんは南アフリカのデジタルタイプファウンドリー「トンディ・タイプ」を設立しました。彼の大胆で幾何学的、実験的な書体デザインは感動します。書体の多くには未来的なエネルギーが感じられ、アフリカのタイプファウンドリーならではの新鮮でユニークなアプローチが見られます。」とオスモンドさんからコメントをいただきました。

記事作成者
BrothertonDuncan
BrothertonDuncanの顔写真
オーストラリア出身で、2001年より日本に在住し、GRAPHIC DESIGNER+THINKER+WRITERとして活動しています。デザイン以外にも英訳の仕事を受ける。大阪医科薬科大学と京都芸術大学でデザイン専門英語、奈良芸術短期大学で編集デザインを担当。2011年に入会、現在は西部研究会委員会の担当理事。クラフトビール好き。最近新しいチェーンソー購入。普段、母国語より関西弁しゃべっている。